48 産報会館と映画館

48 産報会館と映画館

 戦時中に産業戦士を、はげますための慰問会場が、現在の南街消防団詰所のところにありました。それを産報会館(さんぽう)といいました。
 戦前から活躍していた俳優の、飯田蝶子、坂本武、ターキーこと水の江滝子さんも来て、寸劇などで、大勢の人々を楽しませてくれました。
 今の子供達とちがい、俳優などはめったに見られないので、物めずらし気に楽屋をのぞいてさわぐので、飯田蝶子は、画面同様のはっきりした調子で、「この辺は田舎と同じだね」などといっていたそうです。
 司会者は、田畑さんで当時、武蔵村山に疎開していた、俳優の山村聡さんを訪ね、いろいろ教えてもらってきての司会でしたので、とても名調子でした。
 昭和十七、八年頃、現在大和通りにあるスーパーの場所に映画館ができました。運営は、日立航空機㈱の労働組合でした。軍の管理がありましたが、ブラスバンドも演奏することができました。
 入場料は五円~七円位で、フィルムは立川の映画館から借用して、バス、自転車で運び、映写して、またすぐ返すので大変でした。組合の集会、議員の立会演説会にも利用されました。(東大和のよもやまばなしp108~109)